映画「xxxHOLiC」感想 原作とはまた違った雰囲気である意味新鮮

ホラー

CLAMP原作の漫画「xxxHOLiC」が「さくらん」「ヘルタースケルター」の蜷川実花監督の手によって映画化された今作、華やかな映像美が原作の世界観とマッチした作品でした。

出典元:松竹チャンネル/SHOCHIKUch

監督:蜷川実花
脚本:吉田恵里香
キャスト
四月一日君尋(神木隆之介) 壱原侑子(柴咲コウ) 百目鬼静(松村北斗) 九軒ひまわり(玉城ティナ)
女郎蜘蛛(吉岡里帆) アカグモ(磯村勇斗)

映画「xxxHOLiC」あらすじ

生まれつきアヤカシが見えてしまう高校生の四月一日君尋はアヤカシを引き寄せてしまう体質で、そんな運命から逃れようと必死で逃げ惑う日々を送っていたが、そんな人生に疲れ果てある日飛び降り自殺を試みる。

ビルの上に立つ四月一日、そこに思い止まらせるように一匹の不思議な蝶が飛んでくる。

彼はその不思議な蝶を追っていくと占いの館のような怪しげな「ミセ」に辿り着く。

「ミセ」に入った四月一日を不思議な少女マルとモロが出迎え、奥に案内されるとそこで彼を待ち受けていたのは椅子に腰掛け優雅に煙管を吹かしている妖艶な美女だった。

その壱原侑子と名乗る怪しくも美しい女主人はこの世の物とは思えない魅力を放っていた。

侑子と出会ったことで四月一日の運命は変わっていくのだった。

映画「xxxHOLiC」感想(ネタバレ)

原作は見たことがなく映画を観た後になぜか無性に気になりアニメ版を少しだけ観て感じたのは、「ある意味忠実なんだけど別物だなぁ」と言う事です。

まず主人公のキャラが全く違っててアニメだとわりと能天気なおバカキャラなんだけど映画で神木さん演じる四月一日は、陰のあるどちらかと言えば少し臆病なミステリアスな雰囲気で原作のコミカルな部分は全く見受けられませんでした。

柴咲コウさん演じる壱原侑子は母親のような部分もあるんでハマリ役だったのではないでしょうか

松村北斗さん演じる百目鬼静はクールで男っぽいんだけど映画だと繊細な雰囲気です。

クールな雰囲気は一緒ですね。

玉城ティナさん演じる九軒ひまわりはわりと原作に忠実だったと思います。

吉岡里帆さん演じる女郎蜘蛛は原作の妖艶な雰囲気が出てたしラストの闇に落ちる直前のアヤカシが憑依したような演技は良かったです。

「もう止められないよ〜」ってとこはゾクっとしました(変態)

磯村勇斗さん演じるアカグモは堕落ちした人間って感じのやさぐれた演技がハマってました。

映画版では原作の独特な和テイストの華やかで妖しい雰囲気や真面目な部分のみが強調されてたように感じました。

あ、それとモコナがいないです。けっこう原作では良い味出してる重要キャラなんだけどおそらく蜷川ワールドに合わないためか映画では登場しません。

そう言った意味で原作のファンは寂しく感じるかも知れません。

ストーリーは原作での四月一日が片眸を奪われるエピソードとひまわりの秘密のエピソードが中心になってます。

「ミセ」を訪れた四月一日を見て侑子は彼がアヤカシを引き寄せる人生と決別したがってることを知り、願いを叶えるにはそれ相応の対価が必要だと告げますが、四月一日はピンと来ないまま「ミセ」を出ようとします。

しかし、その時1 人の女性の客が現れ侑子は彼女の小指に指輪をつけると願いを叶えたければ指輪を外さないようにと告げます。

簡単な契約に喜んで「ミセ」を後にした彼女でしたが、そこには侑子の非情な狙いが隠されていました。

侑子は客の女性が約束を守れない人間とわかった上で約束を破らせ自然に対価を差し出すハメになるよう仕組んでいました。

そして、その様子を四月一日に見せることで願いを叶えるために対価を払う行為がどれほど困難かわからせようとしたのでした。

四月一日は客の女性に虚言癖があり彼女が嘘をつくたびに指輪に黒い靄が纏わりつき瞬く間に汚れていくのを見て不安を覚えます。

彼女が綺麗にしようと指環を外そうとするとそこに1人のアヤカシの男が現れ「嘘つき」と一言囁き通り過ぎると、その瞬間彼女は精神が崩壊し叫びながら道路に飛び出し間一髪のところを四月一日に救われます。

正気を失った彼女を傍らに四月一日が呆気にとられていると、突然辺りから人が消え真っ暗な異空間に変わります。

誰もいない真っ暗なスクランブル交差点に立ち尽くす四月一日、そこに1人の妖しい色香を放つ女性が現れ彼女は四月一日のアヤカシを視る力を持つ眸を欲します。

そしてまだ四月一日の力が不十分だと気づき「もっと美味しくなったら食べてあげる」と言って去って行きました。

予期せぬ形でアヤカシに片眸を狙われるハメになった四月一日は必然的に侑子のもとで生活することになります。

侑子に事の仔細を伝えるとそれは女郎蜘蛛で手強い相手だということがわかります。

四月一日に目をつけた女郎蜘蛛は手下のアヤカシ、アカグモを使ってまずは百目鬼とひまわりを始末しようとします。

買い物帰りの四月一日に近づいたアカグモは何も知らない彼をを百目鬼の寺に案内させます。

寺の本堂には開かずの扉がありそこには百目鬼の祖父が封印した強力なアヤカシが封じられていてそのことからも孫である百目鬼の祓う力の強さがわかります。

祓う力を持つ百目鬼を脅威に思ったアカグモは自分の影を使って始末しようとしますが、いち早く見抜いた四月一日が間一髪のとこを身を挺してかばいそこに侑子も現れ難を逃れます。

四月一日は自分の厄介な力が初めて人の役に立ったことで、その日以降、少しずつ変わっていきます。

アヤカシのせいで迷惑を掛けれないとこれまで人との関わりを持たなかった四月一日が侑子達や、百目鬼、ひまわりと付き合ううちにこれまでの暗かった人生に光が射したように明るくなっていきました。

そんな中ひまわりの様子がおかしい事に気づいた四月一日は意を決したように侑子に彼女を助けたいと相談を持ちかけます。

ひまわりは四月一日と同様生まれつきアヤカシを引き寄せる体質でいつも百目鬼と一緒に行動していて、彼の祓う力でなんとかアヤカシを抑えていて四月一日もそれに薄々感づいてはいました。

侑子にひまわりを助ける手伝いをして欲しいと言う四月一日でしたがその願いの対価はあまりに大きく彼女はそれを受け入れませんでした。

躍起になった四月一日は1人でひまわりを助けようとしますがその対価は女郎蜘蛛に右眸の力を奪われるというものでした。

意識を失った四月一日は百目鬼とひまわりに助けられ侑子のもとに運びこまれます。

四月一日は母親が自分をかばって亡くなった日の夢を見てうなされ目を覚ますとそこには侑子がいました。

彼はただアヤカシが視えるだけで何もできずに母を救えなかった悔しい思いから逃げ出すために、ただ闇雲に自分を犠牲に誰かを救いたい気持ちを侑子に訴えますが、彼女はその身勝手な自己犠牲を咎めます。

そして他人を犠牲にして助かった人の気持ちを考えそれに向き合ったことがあるのか問いただします。

しかし四月一日にはその真意がわからず、ただ自分を犠牲に人を救いたい思いばかりが先走って思考停止状態のようになって1人飛び出していきます。

侑子は後を追うことはせずただ寂しそうにその場に佇むのでした。

自分の気持ちを理解してもらえず1人悩む四月一日、そこに女郎蜘蛛が甘い言葉をかけて近づいてきます。

女郎蜘蛛は四月一日の心の隙間に入り込み「何も考えずに運命に流されよう、私が願いを叶えてあげる」と彼に呪いをかけます。

その呪いとは誕生日である4月1日を永遠に繰り返すと言うもので朝目覚めた四月一日は、いつものように侑子達と楽しい朝食を済ませ掃除をします。

夕方、侑子に夜店の焼そばをお土産に持ち帰るように頼まれ祭りに出掛けた四月一日は夜店を散策中のひまわりに遭遇しますが、アヤカシを見ないように敢えてひまわりを避け、百目鬼の弓神事を見に行きその後、彼との会話をして1日を終えます。

翌朝、目覚めた四月一日は朝食を取りながらデジャヴュのような感覚に不思議そうにしながら、夜に四月一日にとっては2日目となる祭りに行き百目鬼と話していると、自分以外の世界が4月1日から進んでいない事に気付きます。

次の日もまた同じループを繰り返す四月一日はいつの間にか何の変化もない日々を送ることに慣れ、アヤカシの脅威のない穏やかでただ運命に流されるだけの生活が心地よくなって遂に人生を投げ出そうと思います。

しかし、そんな中で何処か疑問を感じた四月一日は夜店でなんとなくひまわりに話しかけます。

そこで初めて自分が片眸を失った事件が事実で2人に救われていた事を知ります。

百目鬼が左眸を対価に四月一日を救ったと知り彼を問いただすと「お前が俺の立場ならそうするだろう」とその場を後にします。

そこにやって来たひまわりは自分の体質についての秘密を明かします。

彼女は自分と付き合う人間はアヤカシの影響を受けてしまうから皆の前から去ろうと決意したことを語り四月一日のもとを去って行きます。

四月一日は責任を感じていると自分自身を大切にできない彼を見て侑子は「あなたはあなただけのものじゃなく皆が関わりを持って何かを共有している、その関わりを大切にしながら数ある選択の中から運命を変える選択もできる」と迷っている彼を導きます。

侑子はこのループから抜け出し未来を選択することを選んだ四月一日に腕輪を渡すと彼を女郎蜘蛛との決戦に送り出すのでした。

四月一日は女郎蜘蛛と戦うために百目鬼に助太刀を頼みます。

これまで自分1人で物事を解決してきた四月一日は決意を固めたことでこれまでとは違った選択をした訳です。

百目鬼の寺で待ち受ける女郎蜘蛛とアカグモに四月一日と百目鬼は協力して立ち向かい、アカグモに致命傷を負わせますが女郎蜘蛛の糸が四月一日をがんじがらめにします。

身動きできない四月一日を女郎蜘蛛は「ずっとここにいれば皆を解放してあげる」と更なる誘惑の世界に誘おうとしますが偶然に触れた侑子の腕輪によって魔力が弱まり蜘蛛の糸を断ち切る事に成功します。

四月一日はそこで独りよがりだった自分に試練を与え気づかせてくれた女郎蜘蛛に感謝を伝えます。

女郎蜘蛛はそんな四月一日に憤慨しますが、そこに侑子が現れます。

女郎蜘蛛は百目鬼の祖父が封印した強力なアヤカシを使った捨て身の攻撃に出ますが、自らが闇に取り込まれてしまいます。

扉からこの世に出てきたアヤカシを侑子、四月一日達、百目鬼の3人は何とか封印することに成功しますが侑子も光に包まれた扉の中の空間に消えていきます。

悲しみの中迎えた翌朝、いつものように目覚めた四月一日はカレンダーを捲ると無事に4月2日に進んでいました。

誰もいない「ミセ」の中で侑子の声を聞いた四月一日は声のする方に行くとそこに彼女はいるんですが侑子は試練を乗り越え何処か成長した四月一日に最後の別れを告げます。

「さようなら、君尋」

母のような言葉を残して侑子は無数の蝶になって消えて行きました。

四月一日は1人侑子の好きだった卵焼きを食べながら一筋の涙を流し何かを決心したように腕輪を見つめるのでした。

そして侑子の残した「ミセ」を百目鬼と共に引き継ぐのでした。

人の為に自分を犠牲にする行為は時に助けられる人にとっては重荷になる。

この作品でいちばん印象に残ったのはそんな自己犠牲について素敵だと感じる大多数の考え方が正しいのではなく、重く感じると言う少数派もいると言うとこです。

そんなことをテーマに全ての事象は良い面と悪い面2つの面があると言ったことを表しているように感じました。(1回観ただけではそんなことわかんなかったけど)

願いを叶えるにはそれなりの対価が必要でその対価にもバランスが必要と言う部分からもそれを感じる事ができました。

また何も考えずただ漠然と逃げる毎日を繰り返していた四月一日が侑子や百目鬼、ひまわりと出会ったことで人生に希望を見出し、人との繋がりを意識して自分の進むべく道を選択するまで成長を遂げるストーリーにも共感が持てました。

結果としてはアヤカシとの決別はできず一見なんの変化もないんですが、視ることを長所として受け入れる主人公を観てるとありのままの自分を愛する大切さが伝わってきます。

また四月一日事が夜店でたった一度だけひまわりに話しかけたシーンは無数にある選択から運命を変えるべき選択をしたのはまさにあの瞬間だと思えました

しかし、4月1日ループは観てる側も引くくらいしつこかった。(四月一日と同じ気持ちにさせる狙いなんでしょうけど)

蜷川実花監督の創る華やかな映像と音楽に彩られた世界は今作でも秀逸で、そんな雰囲気が好きな人にはおすすめです。

ただ原作のノリを期待すると肩透かしを喰らうかも・・

一味違った「xxxHOLiC」を観たい人には良いと思います。

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