数々の名作を世に生み出した巨匠スティーブン・スピルバーグ監督の半自伝的映画「フェイブルマンズ」幼少期〜学生時代のスピルバーグ「サミー」少年の人生が描かれています。
監督・脚本・制作:スティーヴン・スピルバーグ
脚本・制作:トニー・クシュナー
キャスト
サミー・フェイブルマン(ガブリエル・ラベル) 幼少期(マテオ・ゾリオン・フランシス=フォード)
ミッツィ・フェイブルマン(ミシェル・ウィリアムズ)
バート・フェイブルマン(ポール・ダノ)
ベニー・ローウェイ(セス・ローゲン)
レジー・フェイブルマン(ジュリア・バターズ) 幼少期(バーディー・ボリア)
ナタリー・フェイブルマン (キーリー・カルステン) 幼少期(アリーナ・ブレイス)
リサ・フェイブルマン (ソフィア・コペラ)
ジョン・フォード(デヴィッド・リンチ)
他…
「フェイブルマンズ」あらすじ
幼き日のサミーは両親に連れられて鑑賞した「史上最大のショウ」と言う作品に感銘を受け、ある日母親に渡されたカメラでおもちゃの機関車を撮影したことがきっかけで映画創りにのめり込んで行く。
「フェイブルマンズ」感想(ネタバレ)
「フェイブルマンズ」を観賞した感想は家族愛が素晴らしかったと言うことです。
主人公サミーを中心に芸術家肌で直情的な母親ミッツィ、生真面目で優しい父親バートやおマセで可愛い妹達と言った家族のほのぼのと切ない物語が綴られています。
ほのぼのとはしてるんだけど決して誰もが羨む幸せ家族ではなくバートとミッツィの夫婦仲は円満ではなく居候のベニーとミッツィとの関係が後々家庭を崩壊させていきます。
サミーは幼少期に両親と共に観賞した映画のワンシーンに感銘を受けたことがきっかけで映画撮影にのめり込んでいくんですが、彼の芸術に対する情熱はピアニストの母親譲りで彼もまた家族よりも映画に重きを置く傾向があります。
そんなサミーの行動は巨匠スティーブン・スピルバーグの片鱗を感じさせる一方で「母親の二の舞を踏むんじゃないか」と言った不安な気持ちにもさせられ中々スリリングな気持ちも味わえました。
物語の最後はアリゾナとロスで家族は離れ離れになるんだけど家族全員が自分なりの形の愛情を持ってお互いを理解しあっている姿は観ていてほのぼのさせられました。
主人公のサミー役はガブリエル・ラベル(青年期)が演じてて
オーディションを勝ち抜いた彼は今作が映画初主演となります。
思春期の難しい年頃のサミーを好演されてて今後注目のニューカマーです。
母親ミッツィはミシェル・ウィリアムズで「ブルーバレンタイン」や「マリリン7日間の恋」で主演を演じて、「マリリン7日間の恋」ではゴールデングローブ賞主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞した経験もある実力派です。
今作でも芸術家肌でブッ飛んでるんだけど愛情に溢れた母親と言った個性的な役どころを演じられてます。
私生活ではヒース・レジャーやスパイク・ジョーンズなど俳優や映画監督との交際が取り沙汰されて何かと話題に尽きなかったようです。
父親バート役はポール・ダノで役者以外にも映画監督やMookというバンドでギターを担当するなど多岐に渡って活動しています。
「ラブ&マーシー 終わらないメロディー」や「スイス・アーミー・マン」などに出演、私生活では2007年から女優のゾーイ・カザンと交際していて2018年には女児が誕生しています。
妹役にはジュリア・バターズ、キーリーカーステン、ソフィア・コペラといった注目の若手女優・子役が出演されてます。
ジュリア・バターズは(2019)「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」でレオナルド・ディカプリオとの共演が話題になりました。
その他にもサミーや妹の幼少期を演じた子役たちも可愛かったです。
長女のレジーの幼少期を演じたバーディー・ボリアなんて良い表情してました。
またジョン・フォード監督役をデヴィッド・リンチ監督が演じてる辺りも面白かったです。
ここからネタバレです。
父親の仕事の関係でアリゾナに引っ越したサミーは中学に入ると仲間たちと映画を撮影する日々を送っていました。
友人や妹達を出演させた西部劇でコンテストで受賞するなど実力をつけていったサミーは、
ある日家族で行ったキャンプで今後の人生を左右するような、ショッキングな出来事をカメラに収めることになります。
それは父の友人でフェイブルマン家に居候しているベニーと母の親密な関係性で
祖母が亡くなり落ち込む母を励まそうとキャンプの映像を編集している最中に偶然発見します。
彼は母に対する複雑な思いを胸に秘めたまま友人達との大作の撮影に入りその戦争映画は皆の心を掴みます。
その後も母親との関係はギクシャクしていましたがある日、2人は衝突しサミーは母の秘密を撮った映像を見せつけます。
その場に泣き崩れる母親を見たサミーは我に返り彼女の気持ちをそっと汲み取ってやるのでした。
サミーとの衝突を機にベニーとの関係を終わりにしたミッツィは、以前からのバートの希望だったカリフォルニアへ家族で引っ越す事にします。
サミーのカリフォルニアでの学生生活は暗雲が立ち込めてました。
ユダヤ人と言うだけでイジメっ子のチャドとローガンに目を付けられ蔑まれるサミー
しかしそんな日々は長く続かずローガンとのトラブルで偶然出会ったモニカと言う少女と付き合い始めたのがきっかけで忘れかけていた映画への情熱を再び呼び起こされます。
モニカの提案でサミーは「おサボり日」と言う浜辺で行う恒例行事の撮影を買って出ます。
無事に撮影も終わり安堵したサミーでしたがそんな彼を待ち受けていたのは両親の離婚の危機でした。
アリゾナに置いてきたベニーの事が忘れられない母はすっかり変わり果て家事を放棄して無気力な日々を送っていましたが、遂にその想いが抑え切れずミッツィは家族を捨ててアリゾナでベニーと暮らす人生を選ぼうとしていました。
皮肉にも母親に似たサミーもそんな状況にも関わらずどこが冷静で1人映画の編集に没頭するのでした。
プロムの日に上映されたサミーの映像には、イジメっ子2人を含む同じ学年の色んな仲間達が浜辺で最後の高校生活を満喫する姿が収められ皆一様に最高の表情で映っていました。
そしてその映像の中で一際輝いていたのはイジメっ子のローガンでした。
ひどい仕打ちをした相手がなぜ自分をあんなに美しく撮ったのか憤りとも悲しみともつかない感情に囚われたローガンは、サミーに詰め寄ります。
するとサミーは「5分間だけでも友達になりたかった」と告げ彼も自分にもわからない衝動に突き動かされ撮影したことを伝えます。
映像の中の英雄のような自分と現実の自分とのギャップに戸惑うローガンでしたが、そのことを涙ながらに打ち明けると心が満たされたのかジョークを飛ばしてその場を後にします。
映像がきっかけでその一瞬だけ見えない友情のようなもので繋がった2人はお互い憎まれ口のようなジョークを飛ばし合って別れました。
その後、母は妹達とアリゾナに帰りベニーと暮らし始め、大学生になったサミーは父とロスに住み始めますが、大学には馴染めず映画の仕事を探すも中々見つからない日々を送っていました。
母親に似て感受性の強いサミーはそんな居場所のない日々を過ごす自分に嫌気が指しパニック障害を患います。
そんなある日、いつものように帰宅して発作に苦しむサミーに父は郵便物を渡します。
その中にはミッツィの手紙が入っていて2枚の写真が添えられてました。
サミーは父に写真を渡しますがバートはそのうちの1枚にベニーと仲良く寄り添うミッツィの姿を見付けます。
悲しみと諦めが混じったような複雑な思いを抱くバートでしたが、すぐに気持ちを切り替え息子の将来のことを気にかけ大学を辞めて映画の道に進むように促します。
そして、「2人の関係にジ・エンドはない」と父親なりに妻への想いを昇華できたと息子に伝え、ミッツィの手紙と一緒に届いていたもう1通の郵便物をサミーに渡します。
それはテレビ番組制作会社からの採用の知らせでした。
サミーは映画とは畑違いのテレビの仕事でも選り好みせず引き受けようと責任者のもとを訪ねると、サミーの映画をやりたいと言う思いを汲んで1人の大監督を紹介してくれるという流れになります。
その監督こそ「駅馬車」などを手掛けたジョン・フォード監督でした。
独特の雰囲気を持つ監督はサミーに2つの奇妙な質問をぶつけます
それは監督なりのアドバイスを織り交ぜた質問でサミーは戸惑いつつもそれに答えると、監督はサミーを部屋から追い出します。
部屋を出る際に感謝を述べるサミーに監督もまんざらでもない様子で「こちらこそありがとう」とぶっきらぼうに応えるのでした
監督との会話に手応えを感じたサミーはニヤケながら撮影所を歩いて行くのでした。
この作品から感じたのはスピルバーグ監督の青春時代は決して華やかでカッコイイものじゃないし、家庭環境も良いとは言えないけど家族の愛情には恵まれてたと思いました。
特に父親のバートの無償の愛情は観ている皆が感銘を受けるのではないでしょうか。
家族より夫の友人との恋を選んだどうしようもない母親ミッツィなんて観てる側からすれば嫌いになりそうなもんだけど
サムやバート、家族の愛情を受けてなんとか母や妻であろうとする姿に共感してしまうし、そんな彼女からも子供や夫に対する愛情が感じられたのはやはり心の底でお互いが理解しあっていたからなんだと思います。
そう言った意味ではバートなんて序盤からミッツィとベニーの関係に薄々気づきながらも穏やかに見守っていたのでは!?と思いました。
そしてサムの芸術への思いですが、キャンプの映像で母の浮気に気づいた時に普通なら、そんな映像処分するのを彼は母親が女としての本性を垣間見せた子供からすればいわば陰の部分を作品として残しているあたりからは芸術家魂を感じずにはいられませんでした。
そんな偶然できあがった作品は当時の空想の世界を描いた物がメインだった映画界においてリアリティ作品を打ち立てたことにもなるのかなと思いました。
少年期にそんなものを偶然に創るあたりやはり天才なんでしょうね。
また高校時代のサムもイジメられてるんだけど只じゃ起きないと言うか何処か強さがあってチャッカリ軽いノリの彼女を作って楽しんでるあたりが観ていて心地よかったです。
彼女のモニカも散々思わせぶりなことしといて最後はプロポーズを断って「キスができて楽しかったわ」とかわけわかんないこと言ってて面白すぎだし。
彼女にはフラレたけど高校生活の最後に撮った作品はイジメっ子2人の感情を良くも悪くも動かし、実力を認めさせるようなものでした。
あのシーンの「5分間だけでも友達になりたかった」と言うサムの言葉からは多かれ少なかれ映画監督は自分の思いを作品に投影してるんだと言うことを改めて実感させられました。
それは監督の特権でそんな部分に気づきながら観賞できれば更に映画を楽しめるとも思えました。
また後半の離婚の危機のあたりでミッツィとバートが口論するのを観て感じたのは、芸術や自分の中の衝動の為に家族を犠牲にするアーティストの思いと、普通の仕事も同じでどちらものめり込めば家族を犠牲にすることに変わりはないと思えました。
少し残念と言うか物足りなかったのが大学を辞めていよいよ映画業界に就職するところで作品が終わったことですが、改めて考えるとあれはあれで丁度良かったのかも知れません。
腹八分目ってヤツですね。
スピルバーグ監督の映画に対する思いの強さや家族の愛情の深さが全編に渡って描かれた「フェイブルマンズ」色んな方に観てもらいたいです。
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